2-2. 『スーホの白い馬』のようにデールを着て馬に乗りたい!
小学生の時に好きだった『スーホの白い馬』。せっかくなら民族衣装に身を包み、馬でモンゴルの大草原を駆け巡るというのが今回の野望。ウランバートル市内を散策しつつ、巨大な市場で着々と準備を進めて行った。
民族衣装デールを着たい!
モンゴル探検の際にはぜひ、デールを着て回りたかった。
モンゴルの国会議事堂前で写真を撮ってた現地の観光客。
今でも多くの人が来ている民族衣装。
これを来て馬に乗りたかった。
小学生のころに読んだ『スーホの白い馬』。
なぜかこの絵本が大好きだった。
せっかくならモンゴルの大草原を馬で駆け抜けたい。デールをきて。
巨大な青空市ナラントールマーケット
そこでMIDAさんに教えられたのがナラントールマーケット。
メインの通りから少し歩くが、なんでも揃う市場で地元の人も愛用しているそう。
いざデールをもとめて!
しばらく歩くと目に飛び込んできたのは『メイソウ』
以前ニュースでよく見かけたユニクロのパクリ店。
もちろん中国が展開しているブランド。
もはやモンゴルにも侵略しているとは...
しばらく歩いてみてもなかなか目的地につかない。
どうやら大きな通りの中に入って行ったところにあるらしい。
ようやく見つけて、柵の中に入ってみると、
凄まじい数の洋服が売られているではないか。
食料品から家電まで、日々の生活で必要なものはなんでも揃いそう。敷地面積もめちゃくちゃ広い。
中を探検していると、色あざやかな布を取り扱っている通りを発見。
地元の人はここで生地を選び、仕立て屋でオリジナルのデールを作るらしい。
色とりどりで綺麗だった。
しかし、僕たちにそんな時間はないので既製品を探すことに。
以外にも展開しているお店が少なかった。
みんなオリジナルをつくるのかぁ。
しばらく歩き回って買ったデールがこちら。
一周回って若々しいお姉様がたと記念撮影。
色々オススメしてきてこれを着ろあれを着ろと(笑)
そして「これが一番いいよ」とゴリ押しされた紺色に決定。
もちろん価格は交渉次第でお安くなる。
最初は16000トゥグルグと言われたが、
結局10000T(5000円くらい)まで下げてもらい、オレンジの帯もいただいた。
安いのだと6000Tくらいで買えそうだったが、寒いのでなかに当て布がしてある冬用を購入。
日本じゃ着ないだろうけど、今回一番楽しみにしていたのでまぁOK。
少し重いけど温かい。
選んでる最中はまわりの店員さん方も興味深そうにみていて、親指をたてて笑っていた。
おもしろい買い物だった。
ウランバートルは"中"都会
無事にデールも手に入れ、モンゴル市内を散策することに。
市内はバスが走っているが、乗るには乗車券が必要だったり、いつも渋滞していたりと、歩いた方が早そうなので一回も乗らなかった。
電車はシベリア鉄道の延長である南北に延びた一本のみ。
そのため通勤・通学は自家用車かバス。いつも渋滞しているが、朝と夕方は特にひどかった。
ウランバートルのシンボルブルースカイホテル。
いろんな方のブログでみかけたけど、大したことはなかった。
もう一つのシンボル、国会議事堂前にある巨大なチンギスハン像。
こちらは迫力があり一見の価値はあった。よめないけどモンゴル文字がまたかっこいい。
あちらこちらでチンギスハンの肖像画や像をみかけた。
やはり偉大で強力な人だったんだ。
MIDAさんの話だと、モンゴルはここ20年で急速に発展したという。
年配の方はまだまだデールを着ている人も多かったが、
街にいる若者もどこかアメリカナイズされた格好をしていた。
東京になれていると、正直ウランバートル市内自体は退屈だった。
それでも興味深かったのは、ところどころに残る戦闘民族の歴史や遊牧文化の面影。
やはり田舎に行くしかない!とホームステイへの期待が高まる。
もはや肉売り場のスーパー
モンゴルでも立ち寄りました地元スーパー。
一般的な食材売り場の奥にあった部屋には...
おびただしいほどの肉塊。
ロシアでみたのよりも強烈だった。
ブログにはあげられそうもないが、殺して皮を剥いだだけの状態のものも並べられていた。
匂いがすごい。ほぼ常温のまま置かれている。
たしかにどこのレストランにいっても肉をつかった料理が多かった。
ほとんどが牛や羊。
地方で放牧されているのを消費しているそう。
出会った人に、「モンゴル人の主食は?」と聞くと「肉」と返ってくるほど。
これは衝撃的すぎた。
あと気になったのは、パンのコーナーが広いお店が多かった。
固いものが多く、保存期間も長そうであった。
実際に食卓でもよく見かけたが、パンというよりもはやビスケットのようだった。
文房具コーナーに置いてあったモンゴル語のアルファベット。
英語とは違うし、ロシアで見かけた文字もちらほら。
ちなみにモンゴルでもあまり英語は通じなかった。
ボグドハーン宮殿博物館で結婚式
あてもなくさまよっていると、古そうなお寺を発見。
あとで調べると、
ボグドハーン宮殿博物館
という観光地だったらしい。
そこで結婚式をしている一族に遭遇。
新郎はスーツ、新婦はウエディングドレス。
完全に洋風なんだね。
ただ親族の方々はデールをきていたり、私服だったりと様々。
ちなみに先ほども触れたが、ここ博物館だからね。
寺院じゃないけど、綺麗だからここでもいいのかなぁ?笑
この近くでは日本とモンゴルの外交45周年展覧会をやっているらしかった。
(見つけられなかったけど。)
ウランバートルは1,2日あれば十分満足してしまう。
ホームステイまでまだ時間があったし困った僕たちが頼ったのは、
『Couchsurfing』という程の良い出会い系のようなアプリだった。
つづく
2-1. 初の『電車陸路国境越え』で遊牧の国モンゴルへ。Airbnbで出会ったMIDA母さん。
一週間のほとんどを電車で過ごしたロシア。おじいさんのように散歩しかしなかったイルクーツクに別れを告げ、再びシベリア鉄道に乗り込みモンゴルは首都ウランバートルを目指す。
初めての電車での陸路国境越えにワクワク。
モンゴルは今回の3国で一番楽しみにしていた国。
メインは遊牧民族のおうちにホームステイ。
それ以外は現地の人に聞き込んで楽しそうなことを見つけよう。
Airbnbで出会ったのはお母さんのように暖かいモンゴル人。
モンゴリアン鉄道は荒れ地をすすむ。
シベリア鉄道もモンゴルが近づくと景色が一転した。
木々は極端に消え、荒野が広がる。
たまに近く川は波がなく鏡のようだった。
長かった車両は切り離され、いつのまにか半分の10両ほどの長さになっていた。
最後尾の車窓から撮った写真。
荒野をひたすらまっすぐ線路が延びている。
「ユーラシア大陸って広いんだなぁ」
というバカ丸出しの感想とともにしばらく景色をながめながらぼーっとしていた。
(乗車中は基本的にぼーっと時間を無駄に使っていた。)
社会人になったらこんな時間もなくなるのか。
少しだけ寂しい気持ちになった。
イルクーツクからモンゴルに南下する電車には欧米人らしき人が何人かいた。
実際、今回相部屋だったのもオランダ人の姉妹。
乗り込んだ最初は少しお話ししたけどあとは各自自由行動だった。
あまり仲良くなれなかった。かなしい。
ロシア側国境街ナウシキ
陸路で国境を越えるためナウシキという国境街で停車。
3時間ほど外で待ってろとのこと。
駅舎も待合室以外はしまってる。
周りになにもなくすることがない。
なぜか野良犬いっぱい。
しばらくするとホームから急に電車が消えた。
え?
おきざり?
乗客全員きょとん。
整備と荷物チェックのためいなくなったらしい。
戻ってきたからいいけど、事前にお知らせなかったから怖かった、
(あったのに理解できてなかっただけかもしれないが)
もどってきて電車に乗り込むと、国境警察の人が二、三人乗り込んできてパスポートチェックが始まった。
女警さんかっこよかった。
出国の時にVISAでミスしてたから怖かったけど以外にすんなり終わった。
その後、スフバートルというモンゴル国境街で止まり入国手続き。
到着と同時に両替商みたいな人が乗ってきて、声をかけ始めたがだれも換えてなかった。
獣臭いスープで歓迎されモンゴル到着
相変わらず何時につくかわからなかった。
寝ていると、オランダ人姉妹が起こしてくれて到着したという。
乗り過ごしてたら絶望してた。ほんとにありがとう。
早朝、日が昇る前にウランバートル到着。
寒い。寒すぎる。ロシアより寒いんじゃないか。
それもそのはず、10月中旬にも関わらず−6℃
たまらず駅舎に駆け込む。
モンゴルではAIrbnbで宿をとっていた。チェックインは10時。
wifiない、現金ない、お腹減った、シャワー浴びたい。
疲れもだいぶ溜まっていた。
それに加えて、タクシー乗らないか?の嵐。
それが商売ってわかっててもしつこい。
しばらくバスが走りだすまでまってたが、極限までお腹が減っていたのでレストランを探して市内にでることに。
当然タクシーはすべて無視した。
やっぱり最初は歩きたい。
30分ほど歩いてウランバートルのメインストリートに到着。
早朝でも空いてたレストランを見つけ直行した。
温かいものが食べたかったので餃子入りスープを頼もうとしたが、4000Tとの表記を見つける。
一瞬びっくりしたが、wifiをつなげて調べると100円=2100トゥグルグ(2017年10月)
大金持ち歩かなきゃいけないんですね。
出てきたスープがこちら。
すごくおいしそうだったが...
一口スープを飲むと、
口の中で羊が暴れ出す。
獣臭がすごい。
これがモンゴルかと覚悟を決めて美味しくいただいた。
Airbnbで出会ったMIDA母さん
約束の時間になり宿へ向かう。
お世話になるのはMIDAさんという方のおうち。
立地の良さとレビューがダントツでよかったので即決した。
会ってみると理由がわかった。
優しく、面倒見もよく、なによりおしゃべり大好きでお母さんのような存在だった。
MIDAさんは国際交流がしてみたくて、
50歳から独学で英語とドイツ語の勉強を始めたそう。
すごすぎる。
モンゴルでの過ごし方や、中国への行き方などいろんなことを教えてくれた。
お母さんとの二人暮らしで家にいるときはご飯も作ってくれた。
久しぶりのお野菜は体にしみた。
毎日「旅の話を聞かせて」「今日はどうだった?」と楽しそうに聞いてくれる。
MIDAさん自身は国外にでたことがないという。
おそらく経済的にもそんなに豊かじゃないのだろう。
複雑な気持ちだった。
『貧乏旅行』っていうのも贅沢なんだなぁ。
それでも、MIDAさんは今は海外からお客さんが来てくれて嬉しいと言ってくれた。
毎日のようにいろんなことを話した。
「モンゴルに来たらいつでも遊びに来て」と言ってくれ、第二のお母さんがモンゴルにできたような気持ちだった。
お気に入りは毎朝作ってくれた目玉焼きトースト。
シンプルだけどおいしかった。
MIDAさんに会えたこともモンゴルが大好きになった理由の一つです。
つづく。